しかし、戯言。

ぐうたら社会人がぐうたら思ったこと

吉澤嘉代子の「綺麗」が見せる“魔法”と“棘”

本当に優れた音楽には、作り手の明確な「エゴ」や「棘」を感じるものが多い。誰でも作れる歌ではなく、作り手の顔がはっきりと浮かび上がってくるというものだ。音楽というものが、消耗的な娯楽として楽しまれるものではなく、一つの歴史からなる文化として成り立っているのは、作り手がそれだけ想いをこめて創り出しているからではないだろうか。没個性的な歌は、きっと一時的に流行ったとしてもいつか廃れていくものだ。

先週の日曜日、J-WAVE HOT 100を聞いていると、一際心惹かれる一曲が流れてきた。

(ショートバージョンなので、是非フルで聞いてください。Apple Musicなどで既に上がっています。)

初めて聞く人も多いかもしれない。吉澤嘉代子という女性ソロシンガーの「綺麗」という一曲だ。一聴していただいただけで、ぐっと心を掴まれる感覚が分かるだろうか。聞く者をワクワクさせてくれる、まさにポップスの“魔法”がここには詰まっている。

何と言ってもメロディーが良い。Aメロのゆらゆらと漂うなメロディーから、サビのドラマチックなフレーズへと走り出していく疾走感。夜の街を駆けていくようなキラキラとした気持ちが溢れだしているかのようだ。そして、「綺麗 綺麗」というこの曲の象徴のようなフレーズの後には「きらっきらっきら」「ぴかっぴかっぴかっぴか」「くらっくらっくらっくら」と、キャッチーでキュート、そして恋の高揚感を感じさせるコーラスが聞く者の印象に残る。

こうしたメロディーの良さを際立たせるのが、豪華絢爛なブラスやハープなど生楽器をふんだんに使ったアレンジだ。打ち込みではなく、生楽器をきちんと使った音楽はやはり一音一音の躍動感が違うし、曲の表情をきちんと魅せてくれる。小気味よい刻みを見せるブラスの音は楽しさを、そして、ハープや弦楽器の響きは曲名通り「綺麗」な世界を見事に作り出している。サビの「きたきたきたっ!」というドキドキする感覚は、このハイレベルなアレンジの賜物と言えるだろう。

そして、言葉の選び方。「公園で初めてのキスにいたらず 私たちもういい大人なのに」という、歌い出しからガシッとリスナーを捉えるフレーズが飛び出してくる。恋における、この微妙な心情をするりと言い切る歌詞は今までなかなか無かったのではないだろうか。「誘いかけるネオンに馴染めなくて 私たち家出した子供みたい」とか、もう本当に素晴らしい。この他のフレーズでも、日本語を巧みに使った風景描写、そして、恋する2人の心理描写が冴えわたっているのだが、何と言っても1度目のサビだ。「硝子色の時間 封じこめて」恋する女性の透き通るようなかけがえのない美しさ、そして、いつ壊れてしまうかも分からない危うさを「硝子色の時間」という単語に封じ込めてしまうのだ。「綺麗」な言葉で恋愛を切り取る、吉澤嘉代子の才気をビンビンに感じるだろう。

しかし、この曲は何度か聞くうちに徐々に表情を変えていく。単に秘密にしたくなるような恋愛への高揚感やドキドキを歌っただけではない、この曲の主人公、いや、女性の持つエゴイスティックな感情が見えてくるのだ。よくよく歌詞を一度見て欲しい。「美しい記憶を残しておいてね さようならと最後に一度だけ繋いだ この手も いつかは しわしわになるの」「もういない私を 思い出して 一人きりの部屋で 街灯に浮かんだ 恋する私を ああ」「あの夜の私を 思い出して 一生綺麗だって 思ってくれるのなら いいな いいな」。恋をしている一瞬のトキメキだけではく、自分がいなくなった未来永劫まで、自分の美しさを覚えていて欲しい、というゾッとしてしまうような女の恐ろしさが終盤にかけて歌われていくのだ。そのうえで「硝子色の時間 封じこめて」というフレーズを再び聞くと、この言葉の意味がまた違って浮かび上がっていく。一筋縄ではない、作り手の仕掛けを感じるラブソングになっていたのだ。

この曲の変化を分かりやすく、そして見事に描き出すのが、一度触れた「きらっきらっきら」というひらがなの可愛らしいフレーズだ。最後のコーラスになると、これら全てに濁点が付き、「ぎらっぎらっぎらっぎら」「びかっびかっびかっびか」「ぐらっぐらっぐらっぐら」と全く意味合いの違うようなフレーズへと変化をする。日本語ならではの面白さを巧に見せる吉澤嘉代子、凄い。本当に凄い。

そして、あえて序盤で触れていなかったのだが、こうした曲の持つ面白さをくっきりと浮かび上がらせるのは何といっても吉澤嘉代子の歌声だ。


このように曲ごとに様々な表情を聞かせる彼女の歌声は、この一曲でも存分に発揮されており、可愛らしさを振りまく部分や力強さを感じさせる部分など、とても幅広い。「しわしわになるの」の部分では、聞く人の耳にススッと近づいてささやくような声で歌うので、フレーズも相まって少し怖い。

これこそ、冒頭に述べた作り手の“棘”である。非常に優れた耳なじみの良いポップソングでありつつ、ユニークな言葉の使い方で炙り出す「綺麗」とは言い切れないような人間のエゴをさらりと閉じ込めてしまう。吉澤嘉代子の見事な手法に感服である。この曲が収録されている「秘密公園」というミニアルバムは、6曲全てがラブソングでありながらまったくバラバラな世界を描いており、メロディーの面でもリリックの面でも非常に面白いのでぜひ一枚通して聞いて欲しい。

ということで、すっかり吉澤嘉代子に恋してしまっている。今回は曲として話を絞ったが、アーティストについて書くとなったらまだまだ言葉が足りない。それだけ様々な面白さが詰まった、まさにおもちゃ箱のような女性アーティストが彼女であるように私は感じる。実は彼女、まだシングルという形態ではCDをリリースしたことがないのだが、個人的には早く、この「綺麗」のように圧倒的な求心力を持った一曲を、シングルとして発表して欲しいと思う。そして、より多くの日本中の人々が吉澤嘉代子に気づいて欲しい。これだけの才能を持った人であれば、売れるのも時間の問題だと思う。というか、売れなければおかしい。

秘密公園

秘密公園


「ほどよい」距離感

お久しぶりのブログです。このタイミングでわざわざブログを書くということは、もしや「最近出たあのバンドの新曲について」か!?はたまた「審査員が変わって話題になったあのコントの大会について」か!?いやいや「奇跡の復活・宇都宮しをんについて」だろ!!とお思いの皆さんも沢山いらっしゃると思いますが・・・。今回書くのは、まさかの、普段のブログでちょくちょく出てくる「蛇足」を目一杯盛り込んだ記事です。蛇足だらけです。なので、読まなくてもイイやつです。でも、蛇足が好きな人にはもう涎がダラダラ出て仕方ない記事だと思うので読んでください。

僕はコンビニ大好きっ子なので、毎日のように近所のコンビニへ通ってるんですけど、さすがに毎日行くとお互い顔を覚えるもので。僕も「ああ、この時間だから多分あの人か」とか「うわ、あの人ニガテなんだよな、袋に商品入れるの雑で」とか思いますし、きっと店員さんも「あーはいはい今日もこいつ来ましたね」「また揚げ鶏買ってくんですか」とか思ってるんですよね。たまたまよく行くコンビニの店員の知り合いが僕の先輩だったことがあって、「あいつめっちゃ来るぞ」って話されてたらしいですし。でも、そういうのは辞めて欲しいんですよ。お互いその場だけの関係というか、あまり深入りして欲しくないし、他の人にもべちゃくちゃ言ってほしくなくて。買い物って、個人的にはめちゃくちゃプライベートなものだと思っているので、例えそれがコンビニであったとしても、あんまり人に見られたくないんですよね。

そんな僕の思いを踏みにじる女が居たんです。近所のコンビニに。いや、もうはっきり言いますよ、ローソンに。大体昼ごろ行くといつも居るなー、というおばさんがいるんですけど、その人がレジ入ってて会計する時に「ポンタカードはお持ちですか?」と聞かれて。まぁお決まりのフレーズですよね。で、僕自身ポンタカードは持ってるはず、なのですが紛失してしまって手元に無かったので、「大丈夫です」と言ったんです。そしたら、「いつも結構来てるから、作った方がお得だよ」と急に言われて。いや、ポンタカードにもノルマとかあるのかもしれませんし、あるいは常連客である僕に対する親切心なのかもしれませんが、急にこっちに近づいてきてほしくないんですよ、コンビニで。いつも見かけるな、と思ってもそっとしておいて欲しいんです。これがもし、おしゃれなバーとか、いい感じの定食屋とかだったら常連として扱ってもらえるのはありがたいんですけど、コンビニでその感じあんまり味わいたくないじゃないですか。で、この瞬間僕はスッと心が冷めましたね。もうこのコンビニにあまり行かないようにしよう・・・と。ちなみに面倒なので、その場でポンタカード作りましたけど。いや作ったんかい。

こういう、「客」と「店員」の距離感って超えて欲しくないラインがあると思うんですよ。あんまり近くても嫌だな、っていう。この前、ラーメン屋に行った時もそれを感じまして。一応、「客」として来てるんですけど、おやっさんみたいな年取ったホールの人からは「学生の兄ちゃん」として受け取られたみたいで。接客が基本タメ口、「あ、ここ座って」「はい、○○ね、待ってて」みたいな。いやいやいや待ってくれ、と。俺、お金払ってる客なんだよ、と。若く見えてそう接したくなる気持ちは分かるけど、他の人には丁寧な言葉遣いなんだし、それで俺とも接してくれよ、と。完全にラインを超えてきてる瞬間ですよね。物事には何だって「ほどよい」距離感が必要なんです。でも、明確にそのラインを示す瞬間なんて、お互い無いからコミュニケーションって難しいんですけど。

こういうラインで言うと、最近は「オタク」と「アイドル」の関係もなかなか凄いことになってきているな、と。皆さんはガチ恋という言葉をご存知でしょうか。オタクがアイドルに対して本気で恋をしてしまうという現象です。「俺、あの子と付き合いてえ・・・」とアイドルに対して恋愛感情を抱いてしまう、という。そこには勿論、超えてはいけない、あるいは、越えられないラインがあるわけなんですけど、本気で抱いてしまうんです。「あの女優と付き合ってみたいな」とかそういった軽い幻想ではなくて、彼らは本気で恋してるんです。どうしてこうなるのかな、と考えてみたんですけど、それは今「オタク」と「アイドル」の距離感が限りなく近いものになっているからなのかなと思います。握手会、SNSでのコミュニケーション、チェキ…。地下に潜れば潜るほど、その距離感の近さには驚かされるものです。今までのアイドルは、コンサートだとかテレビだとか絶対に近づくことのできない遠くにいる存在だったからこそ、憧れという感情で踏みとどまっていたと思うんですけど、そりゃこんだけ近くなったら「もしかしたら・・・」と思ってしまいますし、接触機会が増えれば増えるほど女性に対して恋愛感情を抱いてしまうのは自然なことですし。現に「オタク」と「アイドル」が付きあってしまって云々という事例は、地下アイドルだけでなく48グループなんかでも見つかりつつありますしね。マツコ・デラックスなんかがよく言う「アイドル」の変質というのは、このあたりにも一因があるように感じます。手が届かない存在から降りてきてるんです、今のアイドルって。

話をもっと根源的なところに戻せば、恋愛もこうしたラインのせめぎ合いで成り立っている気がして。気がして、というか、多分事実なんですけど。男が「この子ならいける」とグッとアクセルを踏んだとしても、女からしたら「そういう関係は求めてない」とブレーキをかけたりとか。お互いに答え合わせができないから、こうした摩擦が今も世界中で起こっているわけで。でも、そんなの気にせずに思いっきり行ける男、そしてそれが許される男がいるんですよね。羨ましい。経験の場数なんですかね。僕みたいなのだと、いつもヒヨっちゃって、なかなか距離詰められないんで。

話が大分二転三転しました、いや、させましたけど、コミュニケーションって本当に難しいですねという話ですね。何度も傷ついたりしながら、それでも誰かと繋がりたいから、僕らは今日も必死にもがき続けるんです。辛いなー、こう書くと。でも、やるしかないんですよね。しんどいな。


そんな世界を歌っているようなくるりの新曲。「君が嫌い でも愛してる」という最初の歌い出しが全てですよね。嫌いでもあり、愛してる。ツンデレでも何でもなく、人間同士って本当にこうしたコミュニケーション上で成り立っているように感じます。そして、お互いにとっての縮まることのないライン、距離感を探り合っている。永遠に一つになることはない、けれど、お互いにとって「ほどよい」と感じられる距離感を求めて。

まぁ、何が言いたいかというと、僕もブログとほどよい距離感を見つけます。毎日更新はできないけど、こんなに気まぐれに更新するのも嫌なので、もう少し探ってみます。ということで、何度目の再開か。よろしくお願いします。

日々が愛おしくなる舞台、「わが星」。

5月23日。就活を終えた私は、中央線に乗って三鷹まで。そもそもつくばに住んでいると、中央線で新宿より先に向かうことも無いので、初めて見る景色にソワソワしつつ、電車を降りて15分程歩く。夕暮れ時、今時そんなに見ないよってくらい幸せそうに手をつなぐ男女の姿をスーパーの近くでたくさん見かけつつ、向かった先は三鷹市芸術文化ホール。これを見るため。

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初演時には、第54回岸田國士戯曲賞を受賞し大きな話題を呼んだままごとの舞台「わが星」。今回は再々演。Twitterでフォローしている方々からの評判がとにかく良く、リピーターもとても多い公演で、きっと見た人の心にとても残る舞台なのだなと期待して観劇。学生だと安く見れるのもありがたい。

で、この舞台、本当に良かった。上映時間は90分と比較的短いのだけど、その中に凝縮された1分1秒がとても濃く、見ている側にぐっと迫るものがある。そして、自然と見ていて涙が出てくる。何なら舞台が始まり、詳しく物語が展開する前から、すでに泣いてしまう。普通泣いちゃうものって、明確な「泣かせ」の仕掛けがあって、それに揺さぶられる*1のですが、この作品はそういう仕掛けを感じさせない、本当に自然と見ていてスッと涙が出る。それは、きっと、この舞台が描いている物語の普遍性、そして、その世界を昇華させる仕掛けのおかげなのではないだろうか。

まずは「普遍性」。この舞台のストーリーは、どこにでもある普通の人間の生活が軸だ。ヘンテコな性格の人間が出てくるわけでも、誰かが殺しをやるわけでもない。ここで描かれているのは、姉妹、友達、家族、憧れ、すれ違い、別れ、誕生、滅亡、星。多感な時代を過ごした僕らなら、きっと一度は感じたことのある「あの」気持ちだ。それが、誰でも分かるような形で、ストレートに表現されている。

しかし、この舞台が凄いのは、後者の「仕掛け」である。この普遍性だけならば、ありふれた演劇、何ならば学生演劇でもありそうなもの。でも、この舞台はそこに天才としか思えない仕掛けをプラスする。これが、正直事細かに説明してしまうと、初めて見たときの感動を削いでしまうので、言える範囲で簡単に言うと*2、この家族の物語は、宇宙の誕生から滅亡までを描き出しているのだ。・・・え、何のこと?と思うに違いない。しかし、この舞台は、家族の人間関係と宇宙が密接に関わっている。こう書くと小難しい舞台なのではないか、頭をうーんうーんと悩ませて見ないといけないストーリーなのではないか、と勘違いされそうだが、決してそんなことはなく、自然に読み取ることができるものなので安心して欲しい。そして、何故自然に読み取ることができるのか。これには、きっと「音楽」の力が大きく影響している。この公演は口ロロの「00:00:00」(大名曲!)をベースに展開していくのだが、これがとにかく良い。このトラックに合わせて、ラップのように言葉と言葉が重なっていき、登場人物たちが自由に動き回る。 この姿が物語をより立体的にし、見ている者に伝わりやすい形とするのだ。その結果、私たちにとって、登場人物たちの言葉は特別な力を持って昇華される。

everyday is a symphony

everyday is a symphony

 

 他にも、この舞台には見たものをワクワクさせる演劇的な仕掛けが沢山仕掛けられている。きっと、劇場に入った瞬間から驚かされるだろうし、開演前のアナウンス、開演してからの舞台装置、言葉遊び、そして、そっと終わっていくラストまで、演劇が難しい、と思っている人でも、見終わった頃にはきっと心を掴まれているような楽しさが満ち溢れている。

いや、しかし、この舞台は本当に言葉にするのが難しい。というのは、言葉にするのが野暮と思えるほど、生で見ないと分からない説得力に溢れているからだ。なので、言えるのはとにかく一度見に行ってほしい、ということ。まだピンと来ない方に、この舞台を簡潔に言い切るならば、普遍的な人と人のつながりを、音楽や台詞回し、突飛な設定で綺麗に描き出す、演劇だからこそできる、そんな貴重な瞬間が続く作品。劇場を出た瞬間から、当たり前に続く日常がどこか愛おしくなり、駅へ再び歩くまでの時間、すれ違う人々の顔すらもなんだか特別に思えるようになる。本当に素敵な作品なので、時間を見つけて是非見に行ってください。できれば、大切な人(同性でも異性でも)と見に行くと、いい時間が過ごせますよ。

うーん、もっといい書き方できたような気もする。でも、本当に圧倒的な作品を見たときって、うまく言葉にできないんだよな。蛇足になるけど、もう少し付け足すならば、生きるってことの喜び、そして、いつか待つ死ぬまでのことをきっと感じされられます。

わが星 『OUR PLANET』 [DVD]

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 以下、見た人だけに伝わるメモ。見てない人は見ちゃダメ。

*1:で、その仕掛けがバレバレだと興醒めしちゃうようなお涙頂戴ストーリーになるわけですけど

*2:できるならばこれすらも読まないで、僕を信じて三鷹まで向かって欲しいですが・・・。

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とにかくceroを聞いて欲しい。

本当は「ポップの極地、cero」とか、ロッキング・オンよろしくなかっこつけたタイトルを付けようとしていたんですけど、もっと必死にこのバンドを薦めたいと思ったので単刀直入な記事タイトルにしました。とにかくceroを聞いて欲しい。

四つ打ち全盛期、ロックですらも「分かりやすさこそがNo.1」という風潮になりつつ今、「音を楽しむ」と書いて音楽をやっているバンドがどれほどいるか、という話でして。そんな中で、極めて純度の高い音楽を鳴らすバンドがいます。それがcero。とりあえず一曲。

心に染み入る芳醇な音の渦。「景色の見える」音楽とはまさにこれだ。耳にすっと入ってくるメロディ、心をキュッとさせるあの頃の僕らが描かれた歌詞、細部まで手の込んだアレンジ。それでいながら、その高い情報量を複雑に感じさせず、きちんと一曲の明確なポップソングに仕立て上げる彼らの技量たるや。めちゃくちゃハイレベルな音楽じゃないですか。何と言っても、単純に、聞いていて気持ちが良い。

彼らの凄いところは、そうしたハイクオリティな音楽を、様々な世界観で展開できるところだ。どこか切ない平日の午後を描いたと思えば、次は砂漠に乗り上げた世界の音楽だ。よりディープに、アプローチをブラックミュージックへと変えつつも、この一曲で鳴らされる音楽もまさに「ポップ」。オシャレなだけじゃなく、泥臭さもどこか感じさせる彼らの音楽は、リスナーの我々をも新たな世界へと連れて行く。

これまで音源が続いたので、少しライブの動画も見てもらいたい。ライブでも非常に高いクオリティで鳴らされる音に驚くとともに、このバンドへの印象がまた更に変わったのではないだろうか。特に後半の「My Lost City」である。彼らはここで非常に熱気のこもったライブを見せる。

ダンスを止めるな

風営法だなんだ、EXILEがなんだ、オリコンチャートがなんだという世間でシャウトする様は、安易な表現で申し訳ないが、まさに「ロック」だ。オシャレなヘラヘラしたバンドなんでしょ、と侮っていた人々にも、彼らの一筋縄ではいかない魅力が届いただろうか。


そんなcero、いよいよ今月5月27日に3rdアルバム「Obscure ride」をリリースする。アルバムごとに様々な表情を見せてきた彼ら。既にリリースされているシングル2曲、そして公開されたばかりのリード曲「Summer Soul」を聞くに、これまでとは異なる新たなジャンルの音楽に挑みつつも、より開けたポップソングを展開してくれるに違いない。自分に寄り添った音楽や、気持ちの良い音楽を探している皆さんには、間違いなくフィットするだろう。その心地よい―よく聞くと、その世界には彼らなりの皮肉も混ざっているのだけど―世界観に、できるだけ多くの人が触れて欲しい。最高に気持ちが良くて、最高にカッコいい音楽。それがcero

Obscure Ride 【初回限定盤】

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あなたは、本当に音楽を聞いていると言えますか?

どこまでも青く、サラバーズは行く。

せい‐しゅん【青春】

五行説で青は春の色であるところから》
1 夢や希望に満ち活力のみなぎる若い時代を、人生の春にたとえたもの。青年時代。「―を謳歌(おうか)する」「―時代」
2 春。陽春。
「―二三月」〈漱石草枕
 

あなたにとって「青春」とは何だろうか。僕にとっては、恋愛やら、友情やら、嫉妬やら、自分への憤りやら、叶わない夢やら、挫折やら、そんなどうしようもないぐるぐるとした行き場のない思いと延々と格闘し続けた、もどかしく、恥ずかしく、でも、どこかうらやましい日々であった。今でもあの日々のことを思い出すと、心のどこかが掻きむしられ、なぜだか走り出したくなるものである。

The SALOVERSの音楽を聞くと、僕はいつもそんな日々のことを思い出す。いや、多分聞く人全員が思い出すのではないだろうか。このバンドはまさしく「青春」である。どこを切り取っても熱がこもっていて、ダサくて、でもカッコよくて、響きまくる。決して器用なバンドではないが、だからこそ、惹きつけられる魅力を持っていたバンドだった。

初めて僕がこのバンドと出会ったのは、2ndアルバム「バンドを始めた頃」がリリースされた時。

バンドを始めた頃

バンドを始めた頃

 

なんとなく、音楽メディアに注目されている、という理由でCDを借り、ふらっと聞いていた。その頃は、正直なところ「うん、カッコいいな」くらいの軽い印象しか残っていなかったのだが、ある日街中でiPodのシャッフルから流れてきた「狭斜の街」を聞いた時、全身がビビビッ!と衝撃を受けた。イントロからジャキジャキと荒々しく鳴り響くギター。とにかく、痺れた。このバンド凄い。何で今まで気づかなかったのだろう、と。

その後はずっとこのバンドを追いかけ続けていた。時々、「ああ迷ってるなあ」とか、「何やってんだよ」とか思いつつ。

2015年。年が明けて早々、そのニュースは飛び込んできた。「The SALOVERS 無期限活動休止」。こんなに良いバンドの歴史が終わってしまう、と知ってしまった瞬間とてつもなく悔しかった。どう考えても、もっと多くの人に聞かれるべきバンドだった。とはいいつつ、一度もライブに行ったことが無い自分もいて、それをとても悔いた。別れはいつも突然来るのだということを、まじまじと感じさせられた。勿論、ラストライブ(最終日は取れなかったが、その2日前の追加公演はチケットが取れた)に行くことを決めた。

そして、ラストライブの前にリリースされた最後のアルバム。

青春の象徴 恋のすべて

青春の象徴 恋のすべて

 

 「なんで解散するんだよ」とか思っていた自分の前に突き付けられた答えのようなアルバムだった。「こんなにいい曲が沢山鳴らせるのに勿体無い」、という想いも勿論あるのだが、それ以上に聞き終わった後に「ああ、これで終わりだ」と決心させられるような音で溢れている。9曲29分と、あっという間に駆け抜けていくように終わる作品。このスピード、この疾走感こそ、まさにサラバーズであり、そして、僕らがサラバーズに感じる「青春」のすべてなんだろう。

良い曲ばかりなのだけど、特筆すべきは1曲目「Disaster of Youth」と、5曲目「ニーチェに聞く」だ。


Disaster of Youth、直訳すると「青春の災難」。言うならば、彼らにとっての青春の終わりを意味しているのだろう。アルバムには歌詞カードが付いていない(自分の耳で感じて欲しいという意味なのだろう)のだが、この曲で歌われる言葉はどれも鮮烈だ。

「次の街では大人になっているから 今は君とほら 警察に追われるほどの ヤバい速度でぶっ飛ばしたい」「友情の全てを代償にしてまで目指す夢に疲れただけさ 少年は大志を抱きすぎて死んだ そして生まれ変わるのさ」

どの言葉も、まさに自分達の終わりを歌っている。そして、それは彼らだけではなく私たちリスナーにとっての終わり、青春の終わりを意味する。

そして5曲目の「ニーチェに聞く」では、4人が楽しそうにフザケながらも鳴らす音が詰まっている。ああ、この4人あってのバンドだったのだな、と強く感じさせられる曲であった。で、とっても明るい曲なのだけど、そこで歌われる言葉は「人生万歳!僕らの未来は真っ暗闇の素晴らしい世界だ」というもの。一つの時代の終わりを、ここでも感じさせられた。

そして、僕にとって最初で最後のサラバーズ。3月23日、東京キネマ倶楽部でそのライブは行われた。

詳しいライブのレポートはきっと他の音楽媒体の方が詳しいので割愛したい。ただ、見終わった後に「ああなんてカッコいいバンドなんだ」と改めて強く感じさせられ、また、22歳にもなって留年している自分が「バンドやりたい」と思わされるようなライブであったことは書き記す。このバンドは、ロックの泥臭さとか、カッコよさとか、全部詰まっていたのだなと、生で見て改めて感じた。そして、そんなバンドを追い続けられたことは、とても幸せなことだったと思う。

ここで彼らの青春は幕を閉じる。しかし、音楽はいつまでもどこかで鳴り続けるから素晴らしいのである。終わったバンドだから、と言わず、是非多くの人に彼らの音楽を聞いて欲しい。きっと、彼らは今もどこかで走っていて、それを追いかけることは僕らにもまだできるのだから。

童貞よ、バレンタインに期待するな。

日付変わりまして今日は2月15日、堀ちえみの誕生日ですがいかがお過ごしでしょうか。

昨日はそう、2月14日、世間がなんとなく浮き足立っているように見える一日、「バレンタインデー」でした。女性が好きな男性にチョコを渡す日ですね。今では、好きでもない男性にまで渡さなければいけないという風潮ができつつあり、女性からすれば「面倒なイベントになりつつある」のではないでしょうか。その点は、今回逸れるので置いといて。本来の意味である、好きな人にチョコを渡す、という点に絞って進めます。

で、この時期が近づくと、男は絶対「チョコ欲しい」「もらえるかな」とか言い出すわけです。そもそも、普段であれば恋愛はほぼ男からアプローチを仕掛けないと始まらないものですが、この日に限っては思わぬチャンスが女性から舞い降りてくるかもしれない、という絶好のラッキーデー。そりゃソワソワし出すわけです。ただ、ここでハッキリ気づかないといけない事がある訳です。それは、チョコがもらえるかはあくまでその日に至るまでの1年間の経験値をどれたけ貯められたか、という評価であって、何もしていない男がチョコをもらえる訳が無いのです。

ここで童貞、あるいはモテない男の多くの抱えている問題を考えましょう。彼らは「恋がしたい」「セックスがしたい」と口々に語ります。しかし、自分から恋愛に至るためのアプローチを仕掛けないのです。それは、①若いころに恋愛経験を重ねなかったために、どのように恋愛を始めればいいか分からないから。もしくは、②若いころに重ねた恋愛がことごとく失敗経験だったために、今更恋愛を始めたくない、トラウマになっているから。②はまだいいとして。①は自分から引き腰のくせに、恋愛したいしたいと言うわけです。いや、無理だろ!と。そもそも、ゼロどころかマイナスからスタートしているようなもの(何もしないで恋愛に至るのはプラスからスタートできる優れたルックス・特技などを持った人間)であって、そんなモテない人間が今更「あー誰か俺のこと好きになってくれないかなー」と言ってもいるはずが無いのです。そりゃそうです。

で、大体どうしてそういうことになるか、というと自分の中に勝手に「壁」「コンプレックス」を作り上げて「どうせ自分から動いてもモテない」という地獄の要塞に籠っているからなのです。「俺は顔が悪い」「俺は女性に無視されている」などといったように。その多くは自分の思い過ごしなのですが、見事にがっちりコーティングされたその要塞はなかなか壊しにくい。

そのくせ、彼らの悪いところは女性に高望みする。Cランクの人間が、Aランクの人間と付き合うにはそれなりの努力が必要なのに、何一つ努力していない。そのくせ、Cランクの人間がアプローチをしてきても、「俺はもっといい女と付き合いたい」などと思うわけです。言うならば無理です。負け試合です。東大生に中卒が数学のテストで勝つくらい無理です。

つまり、要は童貞がバレンタインにチョコをもらうことなど無理なのです。よほどの事が起こらない限り、無理なのです。そのくせ、ソワソワするなんてアホらしい話なのです。そんな1日に期待する位なら、それまでの1年間なんとかして恋愛経験値貯めとけよバカ、という。つまり、今更この日に期待するのではなく、それまでの積み上げが大切なんだよ、バカ、ということです。

で、私がこの文章をどのような立場から書いているか、と言いますと。

ごめんなさい、結局これ反省文です。僕自身がその「クソ童貞」思考だと気づいたからです。要は、長々と時間をかけて作り出した「ブーメラン」です。最近まじまじと、自分と恋愛について考え直した結果、一つの結論が導き出されたのです。それがこれです。ああ恥ずかしい。果たして抜け出すことができるのか。


[MV] Perfume「チョコレイト・ディスコ」 - YouTube

名曲。

最近気になる曲(-20150213)

珍しくちゃんと更新。若手バンドの「いよいよメジャーデビュー!」とかって曲がshort versionでYoutubeにアップされてるとイライラしますね。

最近やたらとラジオ局各局でパワープレイされてるこちらの曲。全く知らなくて、僕もラジオで初めて聞いたんですけど、いい曲ですね。繊細で切ない。歌声が立ってて、それをきちんと際立てさせるアレンジ。ポップソング。なんですけど、PVダサくないっすか?有名な人が担当してるらしいんですけど、個人的にはピンと来ず。

ユニコーンのドラマ主題歌になってる曲。ピアノが気持ちイイ。サビの抜けのいい感じから、「あなたの願い事が~」への展開が好きです。にしてもなんだ「はいYES!」って。さすがユニコーンとも言うべき気の抜ける曲名っすね。最高。PVは「あなたが太陽」に引き続き空耳アワー色の強いやつ、と思ったらやっぱりハウフルズの人が作ってたみたい。

また突然のアイドルソング。曲の題材にもなってる「Mステ」に出演して、完全に爪痕を残した(曲終わりのタモさんのリアクションが印象的でしたね。)私立恵比寿中学の曲。前山田健一ヒャダイン)節全開というか、イカれた一曲っすね。頭おかしい。(褒めてます)Short versionでも頭おかしいのに、フルで聞くともっと頭おかしい。でもサビがキャッチーだから異様に頭に残るという。すげえ仕事だな。

我ながら前の曲との温度差!どういう紹介順やねん、しかし。ということで、急に洋楽です。バイト先のショッピングモールの館内BGMで流れていて、やけにいい曲だなと思いShazamを使って調べたらこの曲でした。Tahiti 80、完全に名前だけしか認知してなかったです。本当海外のアーティストに疎い私。恥ずかしい。この曲も、もう10年近く前の曲らしいっす。恥ずかしい。と、まぁ、出会いは遅かったですが、今凄い聞いてるので許してください。ストリングスのアレンジも加わって超爽やかな曲。朝一発目で聞いたらその日はいい日になりそう、ってくらいの清涼感。

またまた温度差!何が来るかと思って再生した人を困惑させるであろう一曲。僕もぼーっとラジオ聞いてて、不意に流れてきて「なんだよこれ!」と思ったわけですから。無意味をとことん煮詰めた世界みたいな。雑多な要素がない、めっちゃクールな音楽。なんだけど歌詞。いや、歌詞。(褒めてます)とりあえず聞いて欲しい・・・最高っすね。

片平里菜めっちゃ良くないっすか!?良いっすよね!!と、ここ最近女性歌手で一番周りに薦めたい人。曲もいいんすけど、歌ね。歌がもう抜群。色のある歌声。いや、売れるでしょ、この人は!ねぇ!っていう感じ。売れて!

最後は最近、ってわけじゃないですけど昨日活動休止したART-SCHOOLの一番好きな曲。ART-SCHOOLには、このバンドにしか出せない「危うさ」とか、だからこその「美しさ」が沢山詰まっていたように思います。また再び聞ける日(必ず戻ってくる、と言っているので心配ないんですけど)を楽しみにしつつ。以上です。