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しかし、戯言。

ぐうたら社会人がぐうたら思ったこと

「なじみの人」になりたくない

24歳にして、ついに自動車免許を取ることにした。
大学生、というか我が母校はほとんどの学生が1年の夏に「免許合宿」と称して、サークルで田舎に押しかけて免許を取る。この場合、単に費用が安いというのもあるが、それ以上にサークルで交流し、仲良くなることがメインだ。つまり、このイベントに参加しないと、結構取り返しのつかないことになる。というのも、免許合宿の中で、既に彼らの中で「お約束」や「爆笑エピソード」が生まれているので、それに参加していなかったものは「え、知らないの?」と蚊帳の外のような扱いを受けてしまうのだ。
しかし、そうとも知らず、私は免許合宿に参加しなかった。(幸いにも、何個かのサークルやら学生組織を掛け持ちしていた自分は、あまり被害を受けなかったのだが。)では、なぜ参加しなかったのか。答えはシンプル、「免許って、いるの?」とナメきっていたから。どうせ都心に住むだろうから、ほとんどの移動は電車で済むだろう、と思っていたのだ。
実際、今でもそれは思っているのだが、どうも周りにそのことを話すと、怪訝な顔をされた。「お前、マジか?」と。免許は車に乗るためのもの、というだけの認識が甘かった。人間、成人、社会に出る人間の最低限のたしなみ、ID証、必需品。親からも「取れ」と言われる。やべー。取るか・・・。
こうして、なんだかんだで免許を取ることになった。3週間ほどで取り終わるスピードコースだ。

実際、車に乗り始めると思うことがある。楽しい。そう、楽しいのだ。なんだ、この乗り物は。めちゃめちゃ楽しいじゃないか。こうして、教習所内の実車はスイスイと進み、あっさりと仮免交付までは到達した。ところが、路上に出てみると、どうだろう。怖い、怖すぎる。道狭っ。ぶつかるんじゃないの。いや、スレスレやん。え、速度出さないと渋滞になるって?でも、ここでスピード出したら・・・。あ、前に駐車車両あるじゃん。車線変更しなきゃ、後方確認・・・って詰まってる、え、どうしよ、あ、ぶつかる、やべ、ブレーキ、止まれ止まれ・・・。
お察しの通り、しっちゃかめっちゃかである。それでもある程度は乗れるようになってきたのだが、とても一人で運転するイメージは掴めない。ぜってー車は乗らない。一週間前の自分とはまるで違う自分がそこにはいた。

とはいえ、免許は取らなければならない。さて、どうするか。ここで、私は「インストラクター指名制度」の導入を決めた。自分に合ったインストラクターを、すでに教習所内の実車で見つけていた私は、真っ先にその人を指名した。これが若い女性だった場合、なんか下心が見透ける感じで嫌なのだが、30代の気の良い丁寧な男性なので、何ら気にすることは無い、はずだった・・・。

この指名制度が思ったより的中率が高い。(当たり前なのだが)その人が出勤していると、ほぼ100%当たる。2時間連続の教習だったりすると、2時間被る。「いや、それを望んでたんでしょ?いいじゃん!」と思われそうだが、これが複雑な感情で、あんまり顔なじみになると嫌になるのだ。3回に1回くらいなら助かる、のだけど、毎度見られると嫌。毎回50分同じ車で時間を過ごすのも嫌。相手にも「またこいつかよ」と思われていそうで嫌。人からは「コミュニケーション力抜群だよね」と言われる私ですが、変な所でコミュ障な部分がある。

この感覚、たとえばラーメン屋でもよくある。そんなに凄いおいしいわけではないのだけれど、なんだか口になじんで、無性に食べたくなる味のラーメン屋って、皆さん一軒や二軒はありません?私にもそんな店があり、3週間に1回は行っていた。すると、店に行った時の店主の挨拶がだんだん変わってくる。私の顔を見ると、うっすらと笑顔を浮かべ、少し上ずった「いらっしゃい!」になる。そして、店から出る時には「毎度!」である。これ、これが極めつけ。「いつも来ている」ということを覚えられてしまった証だ。これが耐えられない。しんどい。理由はもう先ほどと同じだ。

「これって、私だけ?」と思っていたら、うしろシティの阿諏訪さんがラジオで似たようなことを話していた。ラジオの中では、「えー?」という空気になっていたが、「そう、そうだよ!」と私は深く共感を覚えた。「なじみの人」になりたくないのだ。そっとしておいてほしい。

・・・で、この感覚、皆さんには分かっていただけますか?