しかし、戯言。

ぐうたら社会人がぐうたら思ったこと

1997年の「ある光」と、2017年の「僕」。

2017年、自分にとってはとても大きな変化のあった1年であった。
ダラダラと大学に6年も通い続けていた自分がやっと就職し、「社会人」としてのキャリアを始めたからだ。
漠然とした「やりたいこと」を高い確率で叶えられそうな会社には、残念ながら入社することができなかったが、
それでも、少しは叶うかもしれないという可能性がある会社に入ることができた。

そして、一年目ながら相当色んな仕事を任せてもらえた。
入社してたった九か月とは思えないほど濃い日々を過ごせたことは、本当に良かったことだと思える。

しかし、こうして仕事を重ねるうちに、どこかで自分の中に「焦り」や「迷い」を感じる瞬間が増えた。
自分のやりたいことと、自分のやっていることに、とてつもないギャップを感じるようになったからだ。
今やっている仕事にやりがいが無いわけではないが、やればやるほど昔自分が描いた「こんなことをやっている自分になりたい」という理想像とはかけ離れていく気がした。
一年目の新人が、こんなことを偉そうに言うなんて相当生意気だとは思うが、自分の周りの友人や後輩が、自分のやりたかったことをどんどん経験しているという焦りもあったのだと思う。

そんな葛藤に揺れつつ仕事をしていた12月、YouTubeでとある曲のMVに辿り着いた。
小沢健二の「ある光」という曲だ。

 恥ずかしながら、小沢健二は「LIFE」しか聞いたことが無くて、「めちゃくちゃポップで最高の曲を書く人だな」という位の認識しかなかった自分にとって、この曲はとても衝撃的なものだった。
一聴しただけで感じる「明るさと暗さの危うさの中で作られた楽曲」、それを「ポップ」というイメージで捉えていた「小沢健二」が作っていた、ということに、あまりに驚いてしまったのだ。
その驚きは、自然と僕を1997年の小沢健二へと連れ出した。

当時の空気感は、当時生きていた人しか分からない。なので、あくまで「こうなのだろう」という仮定で考えるしかないのだが、当時の小沢健二はかなりギリギリの部分に立っていたのだろう。出す曲出す曲全てがヒットし、メディアにも多数出演。まさにポップスターとしての街道をひた走ってきた(この時代しか僕は知らなかった)小沢が、アメリカへと旅立つ直前に作られたのがこの曲。歌詞には明らかに、これからの小沢の決意表明が刻まれているように思える。

連れてって 街に棲む音 メロディー

連れてって 心の中にある光

この線路を降りたら赤に青に黄に

願いは放たれるのか?

今そんなことばかり考えてる

なぐさめてしまわずに 

 そして曲の中で何度も歌われる

let's get on board 

 という言葉。現状への戸惑い、そして未来への展望を切実にしたためている。歌声からも、MVからも、どこか切迫した、ギリギリの小沢が映し出されており、搔きむしるギターの音はまさに焦燥のようである。そんな自分を慰めず、「心の中にある光」(それが微かであろうと)が照らし出す道へと漕ぎ出そうとする小沢の姿は、とてつもなく生々しい。だからこそ、この楽曲は、圧倒的にリアルに聞く者の心を掴むのだと思う。

事実、僕もこの曲に心を掴まれた。そして、この曲のことを知るにつれ、自分が感じている葛藤に、あまりにもフィットしているような気がして、聞く度少し涙がこぼれるようになってしまった。当時の小沢健二と自分を比べるなんて、あまりにもおこがましいことなのは承知だが、小沢の焦燥は間違いなく今の自分にも存在している感情だった。だからこそ、この曲を聞く度、そんな自分の尻を叩き上げてくれる感じがした。

let's get on board

きっと2018年もこの曲が何度も自分のそばにいるような気がする。

小沢健二が照らし出した「ある光」は、20年経った今の「僕」にも鮮明に映った。(決して慰めにはならず)これだけの強度のある曲を作れる小沢健二の凄さを、改めて思い知り、興奮したことをきちんと残しておきたく、この記事を書いた次第である。
そして、この曲をきちんと知ったことで、やっと「流動体について」という楽曲が持つ意味にも気づけた。その話を始めると長くなってしまうので、今日のところはここまで。